『幸せとは愛』人は感覚でわかっているのに素直になれない
『幸せとは愛だ』
なんて言ったら笑われると思いますが、
みんな笑うけど、実は信じている。
だから世の中「愛」をテーマにした歌も絵画も小説も多いしね。
芸術は素直に心理をついている。
『幸せは愛だ』って信じたいけど
貨幣経済の中でいろいろな欲に触れ自分の欲も触発されて
ついつい野生の本能が目覚めて「強さ」を求めてしまう。
野生で生き延びるなら
- 誰よりも強くなければ
- 誰よりも優れていなければ
- 誰よりも危険に敏感にならねば
- いつ食われるかわからない
- 食われるより食う側にならねば
こんな思考になって当然。
お金って決して悪いもんじゃないけど
なんか人の野生の生存競争本能煽るんだよね(^^;)
命の奪い合い
↓
獲物の奪い合い
↓
土地の奪い合い
↓
「お金」の奪い合い
くらいの進化しかしねないね(^^;)
ただ、そうだとしても本当に「金」を通して得たいものって
野生時代から変わってないってこともいえる。
安心・心の平安
んで、お金があればまー大きな意味で生きていく
「安心・心の平安」手に入りますよね。
人より強くなければ・・という不安・恐怖・焦りから
お金という目に見える形の力を得ている安心感。
でも人って心の平安くらい本能的に求めているのが
もう、この愛ね。
これ!
これ最高に求めている!
「ただただ生まれてきたことを喜んでくれる」って愛され方。
「ただただ生きている」とこで愛される愛。
「ただただそこに存在しているだけ」で愛される愛ね。
これを人は求めるし、期待しちゃう。
本能のプログラムですな。
そして、このイラスト見てわかるけど
めちゃくちゃ安心できるわけです、この瞬間・この時間・この場所・この関係。
もうね、本能的に自分が求めているものなんて本当はみんなわかっているんですよ。
これ、
なんなら一生この愛に包まれていたいって叫びたいけど、
大人になるとこれが恥ずかしい考えのように思われるから自分でも恥ずかしい気がしちゃうの!
だから「何者かにならねば!」「強くならねば!」「愛される価値ある人間にならねば」って自分と闘っちゃうんだよね。。。
平安を捨てちゃうの。
お金があれば、
美しくあれば、
って自分が愛される理由を勝手に考えて条件にしちゃうんだよね。
『何か秀でた私でなければ愛されない』って焦りが不安と恐怖になっちゃうの。
先に見せちゃいますけど
これ!私が考えて行きついた 人生の成功地図なんですけど
貨幣空間までは
こちらの本で知ったんですけど、
私は貨幣空間のその先があると思っているんですよ。
貨幣空間のその先というかその外側は
もう無限に広がる愛情空間だな!と確信しています。
まー資本社会に生きていますから
「お金はあった方がいいし、無いと生活できない」のも事実。
これは納得できる。
でも「その先の広がる愛情空間に行こうっ」って決めたら
大人でも恥ずかしくなく『幸せは愛』って心から想い叫べません?
私はもう行く気満々で動いてますけど。
その前に不安や恐怖を作る「強さ・力・競争」だよりの生き方を変えたんですよ。
人の凄さも個性も認めたうえで、自分も認めるって方に。
あの人も凄いけど私もやるじゃん!って思考ね。
「へ~凄いですね!」って素直に言えるし、
そこからヒント得て自分にも活かすの。
人と比べて上だったら「幸せ」とか「優れてる」とか「愛されて当然」って
基準の考え辞めちゃうんですよ。
そうすると自動的に
自分で自分の存在を愛せるようになるので。
「ただ存在しているだけで愛されてもいいじゃん」って思えてくる。
不思議とそうすると自分以外の人に対しても
この思考で接することできるんですよ。
大人になるほど難しく考えがち、
世の中を複雑に見てしまいがちですが
もうシンプルに『幸せとは(このイラストのような)愛だ!』でいいじゃない。
まだ素直になれない方のために
つづく